ここでは、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成された国絵図のうち、河内国絵図について詳細をまとめています。一覧は末尾にあります。

概要

河内国は、五畿七道のうち五畿に属する国である。国立公文書館所蔵の『天保河内国絵図』は、紅葉山文庫旧蔵・勘定所旧蔵の両方が現存し、前者 (紅葉山文庫旧蔵) が『天保国絵図河内国』(#764268) としてオンライン公開されている。

Fig.824 天保河内国絵図 (国立公文書館所蔵)
Fig.824 天保河内国絵図 (国立公文書館所蔵)

摂津・和泉・河内 3国の国界 (国境) については『堺付近: 摂津・和泉国界 (国境) の変遷』を参照。

寛永河内国絵図

『寛永河内国絵図』は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成されたと考えられている国絵図の 2番目、寛永年間(1624~1644) に作成された寛永国絵図のうち、河内国のものである。ライデン大学図書館 (Universitaire Bibliotheken Leidens)では『河内国絵図 (Kawachi no kuni ezu)』が現存・オンライン公開されており、これが『寛永河内国絵図』であると推定される。本図の大きさは東西136cm × 南北 275cm である※1。

Fig.814 寛永河内国絵図 (ライデン大学図書館 Universitaire Bibliotheken Leidens 所蔵)
Fig.814 寛永河内国絵図 (ライデン大学図書館 Universitaire Bibliotheken Leidens 所蔵)

本図について、『小野寺』には「石高は正保期のそれに近似し、また狭山藩主北条家の藩主名からも、正保図の写本と考えられる」とあるが、正保国絵図と推定される中川忠英旧蔵とは明らかに異なる国絵図である (『小野寺』は科学研究費補助金研究成果報告書であり、後続の論文等で見直されているかと思われる)。

全般的なところでは、本図と中川忠英旧蔵とでは国境情報※2がまったく異なり、本図のほうが極端に記載が多く、やや頼りない印象の形状で表現された村のオブジェクト (小判形) や河川流路は『寛永出雲国絵図』や各余州図に近い。局所的な部分でいえば、深谷池に浮かぶ 3つの島について本図では各島に村のオブジェクトがあり、池の東には「飯守古城」が存在する。中川忠英旧蔵では中央の島だけに村のオブジェクト (小判形) があり、池の東に古城はない。

本図の郡高 (郡単位の石高) を『正保河内国郷帳』※3および『見稲簿』※4の値と比較すれば以下のとおりである。

郡高の一覧 (寛永河内国絵図)
郡本図正保郷帳見稲簿
錦部にしごり郡
15,065.9640石※5
15,541.4100石※6
15,065.9640石※7
石川郡
24,971.8980石※8
24,986.5980石※9
24,971.8980石※10
八や上かみ郡
11,791.7800石※11
11,791.7800石※12
11,791.7800石※13
丹たん南なん郡
18,951.3840石※14
19,059.6390石※15
18,951.3840石※16
丹たん北ぼく郡
22,381.6660石※17
22,381.6660石※18
22,381.6460石※19
古市郡
7,390.1100石※20
7,350.1100石※21
7,390.1100石※22
安宿部やすかべ郡※23※24
2,281.1750石※25
2,361.8217石※26
2,281.1750石※27
大おお県がた郡
4,403.2300石※28
4,818.9555石※29
4,403.2300石※30
志し紀き郡
12,567.4830石※31
12,567.4830石※32
12,567.4830石※33
渋川郡
21,522.4500石※34
21,522.4500石※35
21,522.2500石※36
高安郡
5,667.8240石※37
6,088.9780石※38
5,667.8240石※39
河内郡
14,585.6770石※40
14,616.5800石※41
14,585.0770石※42
若江郡
34,078.0560石※43
34,078.0560石※44
34,078.0560石※45
茨田まんだ郡
36,263.7500石※46
36,308.3490石※47
36,263.7500石※48
讃良ささら郡※49
10,265.4940石※50
10,365.1700石※51
10,265.4940石※52
交かた野の郡
20,990.9470石※53
21,073.2970石※54
20,990.9470石※55

上に示したように、本図の郡高は、八上・丹北・古市・志紀・渋川・若江の 6郡を除いて正保郷帳の値よりも小さい。一方で、渋川郡・河内郡について「斗」の位の差異を、丹北郡について「升」の位の差異をそれぞれ誤りとして無視すれば、全 16郡で『見稲簿』の数値と一致する。

『見稲簿』は『五畿内志』(『日本輿地通志畿内部』) の一部である『河内国志』の各郡に抜粋されている郷帳だが、どのような性質のものかは明らかでない。「見稲簿」という言葉の用例そのものが限定され、『豊前国八郡見稲簿』※56のほかは『大日本租税志』の引用書目に「天正年間見稲簿』とある程度である。『豊前国八郡見稲簿』は明らかに河内国とは無関係なので、あるいは後者が示唆するように天正年間(1573~1592) まで遡るものなのだろうか。いずれにせよ、石高の差分からいえば正保郷帳よりも古い世代の郷帳であることは確かだろう。

『小野寺』にも言及がある北条氏宗 (久太郎) が狭山藩の藩主だったのは、諸史料によれば寛永2年(1625)~寛文10年(1670) であり、石高と前述の特徴を合わせて考えれば、本図は『寛永河内国絵図』と推定される。このほか、本図の様式をまとめれば以下のとおり。

様式 (寛永河内国絵図)
城下見る限り「北条久太郎居城」(狭山陣屋) だけかと思われる。記号化され、正方形 (細枠・地色) に城名が表記されている。
古城記号化され、正方形 (太枠・地色) に古城名が表記されている。おそらく「飯守古城」と「赤坂城」(赤坂古城) のみと思われる。ほかに文字だけで表現された「千早城」が存在する。
村オブジェクトは不定形の楕円、郡別の彩色。村名はその中に記載、接尾辞なし、漢字表記。村高の記載はないが、これは写本作成時の省略と思われる。
宿駅区別はみられない。
郡見出し短冊形・太枠・郡別の彩色、郡名・郡高併記。
境界(郡界)墨線。
街道朱線。原則として、本道は太線で一里塚あり、脇道は細線で一里塚なし。ただし、脇道でも太線のものが多く、また一里塚が配置されているものもある (『正保河内国絵図』以降との対比で確認)。「木目越」(紀見峠) の道が細線で一里塚なしであるのは、この時点では本道とされていないからか。道程情報※57は、錦部郡内の「冨田村ゟ是マテ一里十二丁」だけしか見当たらない。
航路n/a
国界 (国境)国境情報※2「立石越峠ヨリ和州畑村江九町四拾間末ハ立田海道ト一所ニナル難所ニテ牛馬往還ナシ」「木目越峠ヨリ紀州ケカ野マテ一里橋本マテ二里二町高野海道荷馬往還但天見村ヨリ峠マテ坂之内四町小坂アリ」など。『正保河内国絵図』以上に詳細である。
隣国色別※58なし。
方角記載※59あり。
川幅記載※60なし。
目録なし。
その他「イ」の符号とともに異本の表記を示す付記が所々にある。

なお、本図の最北部、天野川が淀川に合流する地点北側 (右岸) には、郡界と河川で囲まれた「摂州領」が描かれている。これは摂津国の淀川右岸飛地・磯島村 (礒嶋村) が存在する部分で、元禄国絵図以降においては隣国の事物を一切書かないことが原則とされるのに対し、それがまだ徹底されていない寛永国絵図の特徴をあらわしている。

注釈

日本六十余州国々切絵図 河内国

日本六十余州国々切絵図 (余州図) は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成されたと考えられている国絵図の 2番目、寛永年間(1624~1644) に作成された寛永国絵図の、略図・縮図と推定されている国絵図である。この余州図は、五畿七道 68国のすべてが秋田県公文書館に現存し、「日本六十余州国々切絵図」の通称も同館の史料名による。そのうち河内国を描いたものが『日本六十余州国々切絵図 河内国』であり、『日本六十余州国々切絵図 河内国』(#15734)として秋田県公文書館デジタルアーカイブでオンライン公開されている。大きさは東西 90cm × 南北 146cm である。

ほかに『河内国[畿内図]』 が京都大学 貴重資料デジタルアーカイブで公開され、大きさは東西 160cm × 南北 120cm、『〔河内国絵図〕』(T1-82) が岡山大学 絵図公開データベースシステム で公開され、大きさは東西 117.3cm × 南北 165.0cm である。

『〔河内国絵図〕』(T1-82) には 「異本ニ丹南郡ヲ入十五郡但春齋改ニハ丹南ハナシ」、『河内国[畿内図]』にも「異本ニ丹南郡ヲ入拾五郡但春齋改ニハ丹南郡ハナシ」の付記がある。

正保河内国絵図

『正保河内国絵図』は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成された国絵図の 3番目、正保年間(1644~1648) から慶安年間(1648~1652) にかけて作成された正保国絵図のうち、河内国のものである。国立公文書館所蔵、中川忠英旧蔵の国絵図群 (通称『日本分国図』) には河内国のものが 2分割された形式で含まれ、その両方が現存・オンライン公開されている (『河内国1』(#714361) ・ 『河内国2』(#714247))。これが『正保河内国絵図』であると推定される。

Fig.847 正保河内国絵図 (中川忠英旧蔵・国立公文書館所蔵)
Fig.847 正保河内国絵図 (中川忠英旧蔵・国立公文書館所蔵)

本図の余白部分 (畾紙) の目録に記載された国高 (国単位の石高) は 264,952.342石であり、これは『正保河内国郷帳』※1の 264,952.3432石※2に対して矛盾しない。完全に一致しないのは郷帳の数値が勺までの精度があるためで、各郡高を勺以下を切り捨てた上で合計すれば 264,952.342石となる。様式に注目すれば、本図に朱線で書き入れられた街道には主・副 (本・脇) の区別があって、一里塚や道程情報※3・国境情報※4等に不足があるようには感じられない。郡内に記載された見出しも標準的で枠はない。したがって、本図は『正保河内国絵図』といえる。

前述のように、本図の目録に記載された国高は『正保河内国郷帳』に一致する。しかし、それにもかかわらず内訳として記載されている各郡高は、すべて前項の『寛永河内国絵図』に一致する数値となっている。当然ながら、郡高を合計した場合の数値は国高より小さくなり、一致しない。以下に目録の郡高を示す。

郡高の一覧 (正保河内国絵図)
郡本図 (目録)寛永河内国絵図正保郷帳
錦部郡
15,065.9640石※5
15,065.9640石15,541.4100石
石川郡※6
24,971.8980石※7
24,971.8980石24,986.5980石
八上郡
11,791.7800石※8
11,791.7800石11,791.7800石
丹南郡
18,951.3840石※9
18,951.3840石19,059.6390石
丹北郡
22,381.6660石※10
22,381.6660石22,381.6660石
古市郡
7,390.1100石※11
7,390.1100石7,350.1100石
安宿部郡
2,281.1750石※12
2,281.1750石2,361.8217石
大県郡
4,403.2300石※13
4,403.2300石4,818.9555石
志紀郡
12,567.4830石※14
12,567.4830石12,567.4830石
渋川郡
21,522.4500石※15
21,522.4500石21,522.4500石
高安郡
5,667.8240石※16
5,667.8240石6,088.9780石
河内郡
14,585.6770石※17
14,585.6770石14,616.5800石
若江郡
34,078.0560石※18
34,078.0560石34,078.0560石
茨田郡
36,263.7500石※19
36,263.7500石36,308.3490石
讃良郡
10,265.4940石※20
10,265.4940石10,365.1700石
交野郡
20,990.9470石※21
20,990.9470石21,073.2970石
総計 (国高)
264,952.3420石※22
(なし)264,952.3432石
総計 (手動計算)
263,178.8880石
263,178.8880石(略)

上記は郡の見出しに併記された数値についても同様であり (高安郡だけ斗の位が異なるが、明らかに誤記だろう)、本図では国高が改められているにもかかわらず、郡高については『寛永河内国絵図』に一致する値が記載されている。これについては、いまのところ「下絵図 (下図) であるため」と理解するしかないが、どういう過程でこの混在が生じたのか、その具体的な経緯を推定することは難しい。

なお本図でも、本来描かれるべきではない摂津国の淀川右岸飛地・磯島村 (礒嶋村) の部分が「摂津国 (摂津國)」「ミソ嶋」として描かれている。一方で「領」ではなく「国」と表記され、郡界による区別もより明確になっているなど、国郡認識についは若干だが改善されている。

注釈

元禄河内国絵図

『元禄河内国絵図』は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成された国絵図の 4番目、元禄年間(1688~1704) に作成された元禄国絵図のうち、河内国のものである。元禄国絵図は国立公文書館に多く現存する。本図もその一部であり、『元禄国絵図河内国』(#764190)として現存・オンライン公開されている。

Fig.939 元禄河内国絵図 (国立公文書館所蔵)
Fig.939 元禄河内国絵図 (国立公文書館所蔵)

国立公文書館所蔵の元禄国絵図のうち、下総・常陸・日向・薩摩・大隅は正本、五畿 (大和・山城・河内・和泉・摂津) と近江・丹波・播磨は写本であり (本稿の対象ではない、五畿七道 68国以外を除く)、したがって本図は写本である。『元禄近江国絵図』と同様、背景となる自然描写は簡略化されているとみられ、『天保河内国絵図』に比べて山陵と森林がかなり少ない。

本図の大きさは東西 137cm × 南北 295cmで、余白部分 (畾紙) の目録には「河内国高都合并郡色分目録 (河内國高都合并郡色分目錄)」の表題とともに郡名・郡高・村数が一覧され、奥書に元禄15年(1702) 4月の日付 (『元禄十五年壬午四月』) と井上大和守・安藤筑後守・松前伊豆守・久貝因幡守の名前が記されている。

本図では、摂津国の淀川右岸飛地・磯島村 (礒嶋村) は描かれず、その部分はまるで切り取られたかのように空白になっている。

天保河内国絵図

『天保河内国絵図』は、江戸期に全国規模で作成された国絵図の最後、天保年間(1830~1844) に作成された天保国絵図のうち、河内国のものである。冒頭で言及したとおり、『天保河内国絵図』は国立公文書館に紅葉山文庫旧蔵・勘定所旧蔵の両方が現存し、前者 (紅葉山文庫旧蔵) が『天保国絵図河内国』(#764268) としてオンライン公開されている。

Fig.824 天保河内国絵図 (国立公文書館所蔵)
Fig.824 天保河内国絵図 (国立公文書館所蔵)

紅葉山文庫※1は、江戸城内にあった将軍の利用を原則とする書庫 (図書館) であり、勘定所は勘定奉行を長とする役所である。したがって、紅葉山文庫旧蔵は保存と限定的な参照を目的に納められたもの、勘定所旧蔵は実務に供されたものとなるが、紅葉山文庫旧蔵も必要に応じて借用・参照されたようである※2。

『天保河内国絵図』の大きさは東西 174cm × 南北 310cm で、目録の奥書部分には、全国一律に天保9年(1838) の日付 (『天保九年戊戌五月』)、および明楽飛騨守・田口五郎左衛門・大沢主馬の名前が記されている。

注釈

一覧

更新履歴

内容

:

  • 外観とメニュー類をリニューアルした。

:

  • ライデン大学図書館所蔵・日本六十余州国々切絵図・中川忠英旧蔵の記事について、それぞれ表題を「寛永河内国絵図」「日本六十余州国々切絵図 河内国」「正保河内国絵図』に変更し、説明を整理した。
  • 『元禄河内国絵図』『天保河内国絵図』について説明を整理した。

:

  • 日本六十余州国々切絵図の記事を追加した。

:

  • 『元禄河内国絵図』の記事を若干追補、『天保河内国絵図』についての記事を追加した。

:

  • ライデン大学図書館所蔵の記事について様式を中心に追補した。

:

  • 『元禄河内国絵図』の記事を追加し、また外観を示した。

:

  • 導入文を追加し、概要を追補した。

:

  • 『寛永河内国絵図』『正保河内国絵図』の記事に追加の検討結果を反映し、『正保河内国絵図』について外観を示した。

:

  • 構成を再整理し、概要を追加した。誤字・脱字を適宜修正した。
  • 同様に一覧表の備考に記載されていた記事を外に出して、表現などわかりづらいところを適宜、見直した。
  • 『天保河内国絵図』『寛文河内国絵図』について外観を示した。

:

  • 新規作成。