ここでは、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成された国絵図のうち、筑前国絵図について詳細をまとめています。一覧は末尾にあります。

概要

筑前国は、五畿七道のうち西海道に属する国である。国立公文書館所蔵の『天保筑前国絵図』は紅葉山文庫旧蔵・勘定所旧蔵の両方が現存し、前者 (紅葉山文庫旧蔵) が『天保国絵図筑前国』(#763998) としてオンライン公開されている。

Fig.907 天保筑前国絵図 (国立公文書館所蔵)
Fig.907 天保筑前国絵図 (国立公文書館所蔵)

慶長筑前国絵図 (福岡市博物館所蔵)

慶長筑前国絵図』は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成されたと考えられている国絵図の最初、慶長年間(1596~1615) に作成された慶長国絵図のうち筑前国のものである。『慶長筑前国絵図』は、福岡藩主・黒田氏の文書を保管する福岡市博物館に現存する。『川村bによれば、絵図の袋には「慶長年中公儀江被差出候御国絵図扣、壱枚」と記載されているといい、藩主の手許に控図として保管されていたものと考えられている。大きさは東西 405cm × 南北 386cm である。

本図はオンラインで公開されておらず、確認・閲覧は出版物に限られる。同館の収蔵品データベースは完全ではなく、いまだ未公開の資料が存在し、国絵図も公開されていない。ただし jmapps.ne.jpドメインで運営されていることから考えれば、公開されても解像度や品質には期待を持てない。

慶長筑前国絵図 (福岡県史資料所収)

慶長筑前国絵図』は、福岡県史資料に所収の複製も存在し、オンラインで参照することができる。

Fig.966 慶長筑前国絵図 (『福岡県史資料 第2輯』(1933/1972) 所収)
Fig.966 慶長筑前国絵図 (『福岡県史資料 第2輯』(1933/1972) 所収)

慶長筑前国絵図 (福岡県史資料所収)は、原本をあらたに模写して原版を作成の上で多色刷りしたものと考えられ、背景となる自然描写について、山陵は樹木とともに黒 (墨) 色の濃淡、平地の樹林帯は緑一色で表現されるなど単純化され、国絵図における絵画的な性質は失われている。しかしこの点を除けば、文字情報を中心とする内容そのものは忠実に再現されているようである。もとの大きさは推定で東西 412cm × 南北 394cm※1。なお、本図の原本を含む福岡県史資料所収の国絵図は現在、所在を確認できず、すでに失われているものとみられる。

解説によれば、裏書に「筑前御図古図、慶長中献上控 (筑前御圖古圖、慶長中献上控)」とあるといい、原本は福岡市博物館所蔵の写本である。本図の大きな特徴は、村が小さな真円で表現され、村高ばかりでなく村名もまたその外に記載されている点にある。この様式は、刊本 (出版物) として量産されるような、紙と文字のサイズに制約のある場合に多い様式であり、本図のような国絵図ではほかに例がない。またさらに、この真円は郡ごとに仕様が異なるが、それは中に円・正三角形・正四角形を含めるなど記号化することで実現されており、少ない色数で 15郡が区別されている。これもやはり、使用する色に制限のない国絵図では珍しいが、15郡となると実際には似たような色があって区別は難しくなるので、合理的な方法といえる。

このほか本図には縮尺の表示があって、これは『慶長摂津国絵図』『慶長小豆島絵図』の例がほかにあるだけである。様式を以下に示す。

様式 (慶長筑前国絵図)
城下福岡城・博多城は町場とともに記号化されている。形状は多角形 (長方形の組み合わせ)、村のオブジェクトと同様の細枠、彩色は白。ほかの城は背景とオブジェクトの中間的な位置づけの岩山に城名が記載され、町場のみ記号化されている。その形状は短冊形、枠・色は同じ。
オブジェクトは小さな真円、郡別の記号・彩色の組み合わせ。村名は村高とともに外に記載、接尾辞あり・漢字表記。
宿駅区別はみられない。
見出し彩色のない短冊形に郡名だけが記載されている。
境界 (郡界)なし。
街道朱線、一里塚あり、道程記載なし、本道・脇道の区別なし。一里塚はほとんどが「〔〕」で朱線を挟むようにあらわされているが、控図では具体的に「榎の木を一本植えた状態」の塚が具体的に描かれている※2。本図でも場所によっては「〔〕」に重ねてそれらしき形状のオブジェクトも記載されているが、緑一色のため、前提知識なしに塚に樹木 (榎) が植えられたものとは識別できない。
航路なし。
国界 (国境)国境 情報山側は「豊後日田ヘ越道」「豊前ヘ越道」「肥前ヘ越道」と、このほかに樹木とともに「豊前筑前堺ノ松」「筑前筑後肥前堺ノ松」の記載がある。後者は『慶長摂津国絵図』にも存在する描写である。海側に国境記載は一切ない。
隣国 色別なし。
方角記載「福岡ヨリ」を付記の上で東西南北が示されており、図面全体の方角ではない。このためほかとは性質が異なり、図面全体としては 60°ほど反時計回りに回転させると、ほかの国絵図とおおむね整合する向きとなる。
川幅情報なし。
目録「筑前国拾五郡絵図目録 (筑前國拾五郡繪圖目錄)」を表題として、村記号の凡例も兼ねた 15郡の一覧があり、郡高とその田畑内訳・物成・村数が記載され、これに総計である国高と同様の内訳等が続く。
その他縮尺が示されている。
注釈

日本六十余州国々切絵図 筑前国

日本六十余州国々切絵図 (余州図) は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成されたと考えられている国絵図の 2番目、寛永年間(1624~1644) に作成された寛永国絵図の略図・縮図と考えられている国絵図である。余州図は五畿七道 68国のすべてが秋田県公文書館に現存し、「日本六十余州国々切絵図」の通称も同館のものによる。『日本六十余州国々切絵図 筑前国』は文字どおりに筑前国の余州図であり、『日本六十余州国々切絵図 筑前国』として秋田県公文書館デジタルアーカイブでオンライン公開され、大きさは東西 96cm × 南北 68cm である。

ほかに『筑前国[南海道図]』京都大学 貴重資料デジタルアーカイブで公開され、大きさは東西 105cm × 南北 76cm、『〔筑前国絵図〕』(T1-90)岡山大学 絵図公開データベースシステム で公開され、大きさは東西 109.8cm × 南北 78.9cm である。

正保筑前国絵図 (中川忠英旧蔵)

正保筑前国絵図』は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成された国絵図の 3番目、正保年間(1644~1648) から慶安年間(1648~1652) にかけて作成された正保国絵図のうち筑前国のものである。国立公文書館所蔵、中川忠英旧蔵の国絵図群 (通称『日本分国図』) には筑前国のものが含まれ、これが『正保筑前国絵図』にあたる。

国絵図は一般に巨大で扱いづらい。また保管には複数回折りたたまなければならず、その回数が多くなって厚くなるほど折り目から傷みやすい。このため本図は郡界で複数に分割されている。郡界による分割は最良の方法とはいえないが、この場合、村のオブジェクト (小判形) を含む絵図上の情報が各分割をまたがることはない。実際の参照においても郡単位であることが多かったと思われ、ある意味、これが落としどころだったのだろう。本図は、そのうち 2分割が現存・オンライン公開されている (#714360 ・ #714171)。

Fig.785 正保筑前国絵図 (中川忠英旧蔵 ・ 国立公文書館 所蔵)
Fig.785 正保筑前国絵図 (中川忠英旧蔵・国立公文書館 所蔵)

『福井bでは単に「二鋪に分割」とされるが、正確には 3分割以上 (おそらく 4分割) のうちの 2枚 (2鋪) だけが現存し、#714360は西南部でかす莚田むしろだ (席田)・早良さわらの 6郡を含み、#714171は西北部でむなかた郡だけを含む (大部分は海)。この 2枚で西半分が構成され、残りの東半分、まき (おん)・くらなみ (嘉麻)・上座じょうざかさの 8郡は現存しない。

余白部分 (畾紙) の目録に記載された国郡高を以下に示す。

国郡高の一覧 (中川忠英旧蔵)
本図正保筑前国郷帳※1
御牧郡※2
39,350.06075石※3
39,350.60075石※4
宗像郡
48,288.91660石※5
48,288.91660石※6
鞍手郡
47,464.09630石※7
47,464.09630石※8
穂波郡
32,602.40810石※9
32,602.40810石※10
嘉摩郡
38,860.37622石※11
38,860.37622石※12
上座郡
21,205.72400石※13
21,205.72040石※14
下座郡
17,971.32350石※15
17,971.32350石※16
夜須郡
33,205.77909※17
33,205.77990※18
三笠郡
32,607.50482石※19
32,607.50482石※20
糟屋郡
53,440.68490石※21
53,440.68490石※22
莚田郡
8,719.91000石※23
8,719.91000石※24
那珂郡
36,498.23001石※25
36,498.23001石※26
早良郡
38,672.56190石※27
38,672.56190石※28
志摩郡
37,422.45000石※29
37,422.45000石※30
怡土郡※31
36,202.03790石※32
36,202.03790石※33
総計 (国高)
522,512.60130石※34
522,512.60130石※35

上に示したように、本図の国郡高は『正保筑前国郷帳』と整合する。御牧・上座・夜須 3郡では一致しないが、どれも本図の桁誤りだろう。様式は正保国絵図のものであり、中川忠英旧蔵の国絵図のうち正保国絵図と確認できるものに共通する。また、筑前国でも他国と同様に、いわゆる寛文印知の寛文4年(1664) までに郡の整理が行われるが、本図ではそのときに改称 (厳密には古代のものに復帰) される「遠賀郡」が「御牧郡」のままであることから、本図は『正保筑前国絵図』といえる。

注釈

正保筑前国絵図 (九州大学附属図書館所蔵)

『正保筑前国絵図』は、九州大学附属図書館にも『御國繪圖』として現存し、九大コレクション 貴重資料デジタルアーカイブでオンライン公開されている。

Fig.864 正保筑前国絵図 (『御國繪圖』 ・ 九州大学附属図書館所蔵 ・ 九大コレクション 貴重資料デジタルアーカイブ公開)
Fig.864 正保筑前国絵図 (『御國繪圖』・九州大学附属図書館所蔵・九大コレクション 貴重資料デジタルアーカイブ公開)

御國繪圖の大きさは 東西 441cm × 南北 369cm で※1、『天和2年(1682)「御国絵図」(筑前国絵図) について※2によれば、天和2年(1682) の写しで、寛文4年(1664) 以降の郡の再編成 (改称) が反映されている。村高・郡高の記載はなく、余白 (畾紙) 部分にも郡の一覧はない。しかし見る限りそれ以外の情報に不足はなく、単なる写本では省略されやすい自然描写は緻密に描き込まれている。また、『天保筑前国絵図』の大きさから考えれば正本相当と推定される。同稿は「福岡藩が独自に作成した」としているが、明暦の大火後に再提出されるとき、現状が反映されたものの控図か、それに相当するものではないだろうか。

注釈

正保筑前国絵図 (福岡市博物館所蔵)

『正保筑前国絵図』は、『慶長筑前国絵図』と同じく福岡市博物館にも現存する。『福岡市博物館だより No.7』(1992)によれば「当館のおもな黒田資料」に「絵図58件」が含まれ、「このうち正保3(1646)年の『御国中絵図控』は初めて徳川幕府が全国の藩に命じてつくらせた国絵図として貴重」とあり、「初めて」はともかく、本図は控図であることがわかる。オンラインでは公開されていない。

元禄筑前国絵図 (福岡市博物館所蔵)

元禄筑前国絵図』は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成された国絵図の 4番目、元禄年間(1688~1704) に作成された元禄国絵図のうち筑前国のものである。『元禄筑前国絵図』は、『慶長筑前国絵図』正保筑前国絵図と同じく福岡市博物館に現存する。本図については『福岡市博物館常設展示案内 改訂版』(1992) に「元禄十四年御国絵図』としてその存在と外観を確認できる。オンラインでは公開されていない。

天保筑前国絵図

天保筑前国絵図』は、江戸期に全国規模で作成された国絵図の最後、天保年間(1830~1844) に作成された天保国絵図のうち筑前国のものである。冒頭で言及したとおり、『天保筑前国絵図』は国立公文書館に紅葉山文庫旧蔵・勘定所旧蔵の両方が現存し、前者 (紅葉山文庫旧蔵) が『天保国絵図筑前国』(#763998) としてオンライン公開されている。

Fig.907 天保筑前国絵図 (国立公文書館所蔵)
Fig.907 天保筑前国絵図 (国立公文書館所蔵)

紅葉山文庫※1は江戸城内にあった、将軍の利用を原則とする書庫 (図書館) であり、勘定所は勘定奉行を長とする役所である。したがって紅葉山文庫旧蔵は保存と限定的な参照を目的に納められたもの、勘定所旧蔵は実務に供されたものとなるが、紅葉山文庫旧蔵も必要に応じて借用・参照されたようである※2

『天保筑前国絵図』は大きさが東西 413cm × 南北 346cm で、目録の奥書部分には、全国一律に天保9年(1838) の日付 (『天保九年戊戌五月』) と明楽飛騨守・田口五郎左衛門・大沢主馬の名前が記されている。

なお、福岡市博物館には『天保筑前国絵図』も現存する。元禄国絵図の分割写本に基づくものと想像されるが、詳細は情報を得られずわからない。

注釈

福岡県史資料

『福岡県史資料』は、昭和初期に刊行された史料集で、付録として筑前・筑後・豊前の国絵図を所収する。以下はその一覧である (続編・別編は除く)。所収された国絵図は戦災で失われたようで現存を確認できない。

国絵図・近代地図備考
第1輯 (1932) ・ 復刻版 (1972)1糸島郡地方旧領地別図n/a
2寛保年間柳河藩領地図
3築上郡地方旧領地別図
第2輯 (1933) ・ 復刻版 (1972)1慶長年間筑前国図参照
2正保年間豊前六郡図複製。解説によれば原本には「正保年上納繪圖之寫、豐前國繪圖」とあるという。おそらく裏書で、表面にこの記載は見当たらない。
第3輯 (1934) ・ 復刻版 (1972)1久留米藩領古図n/a
第4輯 (1935) ・ 復刻版 (1972)1秋月藩領地図n/a
2矢部川流域水利図
第5輯 (1935) ・ 復刻版 (1972)1元禄十四年豊前図複製。郡の一覧に「元禄十四辛巳年四月 小笠原右近将監・小笠原信濃守」と記載され、国高は 273,801.8483石 (『高都合弐拾七万三千八百壱石八斗四舛八合三夕』)。
第6輯 (1935) ・ 復刻版 (1972)1正保年間筑前国図複製。「原図に年号の明記なけれども、正保年間の図と思はるるもの」と解説にある。記載されている国高は 522,512.6013石 (『都合高五拾弐万弐千五百拾弐石六斗壱合三夕』)、正保筑前国郷帳 (『筑前国中郷帳』) の国高に一致する。
第7輯 (1937) ・ 復刻版 (1972)1元禄十四年筑後図複製。郡の一覧に「元禄十四辛巳三月 有馬中務大輔・立花飛騨守」と記載され、国高は 331,497.769石 (『高都合三拾三万千四百九拾七石七斗六舛九合』)。
第8輯 (1937) ・ 復刻版 (1972)1元禄十四年筑前国複製。郡の一覧に「元禄十四辛巳年六月 松平肥前守」と記載され、国高は 606,981.42石 (『高都合六拾万六千九百八拾壹石四斗貳升』)。
第9輯 (1938) ・ 復刻版 (1972)1筑後川図1n/a
2筑後川図2
第10輯 (1939) ・ 復刻版 (1972)1福岡城図n/a
2秋月家中屋敷図
3久留米城図
4柳河城図
5小倉城図

一覧

変更履歴

内容

:

  • 外観とメニュー類をリニューアルした。
  • 『慶長筑前国絵図』(福岡市博物館所蔵)・『同』 (福岡県史資料所収)・『正保筑前国絵図』(中川忠英旧蔵) の記事について、記述を整理した。

:

  • 日本六十余州国々切絵図の記事について、表題を『日本六十余州国々切絵図 筑前国』に変更し、説明を整理した。

:

  • 『正保筑前国絵図』(九州大学附属図書館所蔵) を若干、追補した。
  • 『慶長筑前国絵図』の記事を福岡市博物館所蔵と福岡県史資料所収に分割した。

:

  • 『日本六十余州国々切絵図』の記事を追加した。

:

  • 『慶長筑前国絵図』についての記事を追加し、また外観を示した。
  • 『天保筑前国絵図』についての記事を追加した。
  • 福岡市博物館の記事を正保・元禄筑前国絵図に分割し、天保筑前国絵図については前項『天保筑前国絵図』に含めた。

:

  • 導入文を追加し、概要を追補した。
  • 『天保筑前国絵図』について外観を示した。

:

  • 『正保筑前国絵図』(九州大学附属図書館所蔵) を一覧に追加し、記事にまとめた。
  • 福岡市博物所蔵の正保・元禄・天保の筑前国絵図を一覧に追加し、慶長も含めて記事にまとめた。

:

  • そのほか「てにをは」等、文章・表現を適宜見直した。

:

  • 構成を再整理し、概要を追加した。誤字・脱字を適宜修正した。
  • 同様に一覧表の備考に記載されていた記事を外に出して、表現などわかりづらいところを適宜、見直した。
  • 『正保筑前国絵図』について外観を示した。

:

  • 新規作成。