ここでは、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成された国絵図のうち、讃岐国絵図について詳細をまとめています。一覧は末尾にあります。

概要

讃岐国 (讃州) は、五畿七道のうち南海道に属する国である。国立公文書館所蔵の『天保讃岐国絵図』は紅葉山文庫旧蔵が現存し、『天保国絵図讃岐国』(#764141) としてオンライン公開されている。

Fig.839 天保讃岐国絵図 (部分・国立公文書館所蔵)
Fig.839 天保讃岐国絵図 (部分・国立公文書館所蔵)

小豆島は本来備前国の一部だが、ここでは近世国絵図の分類であるため讃岐国に含めた (小豆島については『26. 小豆島』を参照)。

慶長小豆島絵図

慶長小豆島絵図』は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成されたと考えられている国絵図の最初、慶長年間(1596~1615) に作成された慶長国絵図のうち小豆島について作成されたものである。『慶長小豆島絵図』の写本は複数知られているが、もっとも原本に近いと考えられているものは個人所蔵で、文化遺産オンラインで外観は確認できる。また『せとうち石の島』※1でも同様で、こちらのほうがいくらか解像度は高いが、どちらにしても内容の検討には堪えない。

一方、これを昭和14年(1939) に写したものが東京大学史料編纂所 所蔵史料目録データベース『小豆島絵図 慶長十年』としてオンライン公開されている。

Fig.759 慶長小豆島絵図 (昭和14年(1939) 写本・東京大学史料編纂所所蔵)
Fig.759 慶長小豆島絵図 (昭和14年(1939) 写本・東京大学史料編纂所所蔵)

この写本は虫喰いを含む緻密な模写が行われており、史料そのもの (紙質など) を対象としなければ十分な史料といえる。それによれば、本図の余白部分 (畾紙) には目録があり、表題は「小豆島高頭目録 (小豆嶋髙頭目録)」、奥付には慶長10年(1614) 10月の日付 (『慶長十年十月十五日』) が記載され、『慶長和泉国絵図』(ライデン大学図書館所蔵)と共通する。これは絵図作成担当者が同じためで※2、縮尺の記載ほか共通するところが多い。様式についてをまとめると以下のようになる

様式 (慶長小豆島絵図)
城下n/a
オブジェクトは小さな真円、各村は土庄・池田・草加部・小浦の 4組に分けられ、その組ごとの色で彩色される。村名は村高とともに外に記載、接尾辞あり・漢字表記。個別には村高が設定されず、ほかの村に含められて把握される村も配置されている (村高の記載は当然ない)。
宿駅区別はみられない。
見出しn/a
境界 (郡界)n/a
街道朱線。一里塚、道程記載、および本道・脇道の区別なし。
航路あり。
国界 (国境)国境 情報海側あり、小豆島が備前・讃岐のどちらでもないかのような表記になっている。
隣国 色別n/a
方角記載あり、「西」は 2箇所に記載されている。
川幅情報なし。
目録略 (前述)。
その他n/a

なお、ほかに土庄町役場所蔵とされるものもあるが、現況含めて詳細な情報は得られない。

注釈

讃岐国絵図 (高松市歴史資料館所蔵)

高松市歴史資料館に所蔵の『讃岐国絵図』は、慶長年間(1596~1615) の景観が描かれているとされ、高松市の Webサイト内『高松市内の指定文化財』『歴史資料』『讃岐国絵図』として紹介されている。画像は 700 × 274ピクセルであり、外観を確認できる程度である。

解説によれば、本図の大きさは東西 212cm × 南北 79cmで、「城郭については丸亀城が『圓亀古城』となっているものの、引田城が『城』と記されていることから、慶長20(1615)年の一国一城令以前の様子を描いたものと位置付けられる」とされ、これによって慶長年間(1596~1615) の景観を描いているとされる。ほか解説には様式についても簡単な説明が含まれる。

『近世初期讃岐国における城下町建設と開発・治水に関する研究』(2017) によれば、平成21年(2009) 3月に高松市歴史資料館が購入したといい、近年に見出された国絵図である。同稿によれば、この研究成果はその後のシンポジウム発表などで展開されているが、国絵図を主題するものではないので、本図についてどこまで詳細に検討されているのかはわからない。

寛永讃岐国絵図

寛永讃岐国絵図』は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成されたと考えられている国絵図の 2番目、寛永年間(1624~1644) に作成された寛永国絵図のうち讃岐国のものである。金刀比羅宮所蔵の国絵図に『寛永十年讃岐国絵図』があり、これが『寛永讃岐国絵図』にあたる。

本図は古くからその存在を知られ、讃岐国絵図 (高松市歴史資料館所蔵)が見出されるまでは最古の讃岐国絵図とされていた。コトバンク (ソースは『日本歴史地名大系』) によれば、大きさは東西 200cm × 南北 87cm で※1『香川県史 第9巻 資料編 近世史料1』(1987)に折り込みで、『高松市歴史資料館常設展示図録』(1993)には見開きで、それぞれ収録されている。郡見出しを除く文字の判読はほとんどできない。

余白部分 (畾紙) の南西部に「讃岐国絵図 (讃岐國繪圖)」の表題と「寛永拾年酉三月日」の日付が記載され、また裏書に「□岐国絵図寛永拾年癸酉春大守生駒壱岐守藤原朝臣」(□=讃)・「□□申付正本之写」(□□=高俊) とあって※2、寛永10年(1633) に作成された正本から作成された写本とわかる。前述のように文字の読み取りは困難だが、本図の様式を可能な範囲でまとめれば以下のようになる。

様式 (寛永讃岐国絵図)
城下高松城が具体的に描かれている。大きさは控えめ。
古城不明。見当たらないが解像度に限りがあるため判断できない。
オブジェクトは不定形の楕円で、真円に近いものが多い。郡別の彩色、村名はその中に記載。接尾辞は「郷」のみ、村高もその郷について外に記載し、周辺の各村はその郷名を冠称する形式と思われる。
宿駅区別はみられない。
見出し短冊形・細枠、地色よりやや濃い同一色による彩色だが、貼紙がそのように見えるだけのようにも感じる。郡名・郡高と、郡高の田畠内訳を併記。
境界 (郡界)「紫筋郡境」と読める凡例があることから、おそらく濃い紫線。
街道朱線、一里塚なし、道程情報は記載されていないと思われる。本道・脇道で線幅に明確な区別がある。一里塚はない。
航路なし。
国界 (国境)国境 情報山側に「三本松ヨリ境目迄弐里半」の形式で記載されている。海側は地形情報も含めてなし。
隣国 色別なし。
方角記載あり。
川幅情報なし。そもそも「青筋川」と読める凡例はあるものの、当地の事情を反映してか、その青筋が目立たず、わからない。
目録色の凡例があり、おそらく「紫筋郡境」「朱筋大小道」「青筋川」「※筋郷ツキ」と書いてあって、4つ目は郷と各村とを細い線で結んでいることについての言及と思われる。
その他各所に赤い短冊がある。おそらく山名等の局所的な地名が記載されている。
注釈

日本六十余州国々切絵図 讃岐国

日本六十余州国々切絵図 (余州図) は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成されたと考えられている国絵図の 2番目、寛永年間(1624~1644) に作成された寛永国絵図の略図・縮図と考えられている国絵図である。余州図は五畿七道 68国のすべてが秋田県公文書館に現存し、「日本六十余州国々切絵図」の通称も同館のものによる。『日本六十余州国々切絵図 讃岐国』は文字どおりに讃岐国の余州図であり、『日本六十余州国々切絵図 讃岐国』(#15754)として秋田県公文書館デジタルアーカイブでオンライン公開され、大きさは東西 109cm × 南北 60cm である。

Fig.932 日本六十余州国々切絵図 讃岐国 (秋田県公文書館所蔵)
Fig.932 日本六十余州国々切絵図 讃岐国 (秋田県公文書館所蔵)

ほかに『〔讃岐国絵図〕』(#T1-88)岡山大学 絵図公開データベースシステムで公開され、大きさは東西 106.4cm × 南北 77.6cm、『讃岐国[南海道図]』京都大学 貴重資料デジタルアーカイブで公開され、大きさは東西 104cm × 南北 77cm である。

聖心女子大学図書館には『讃岐国図』が現存する。大きさは東西 95cm × 南北 55cm で少し小さい。

正保小豆島絵図

正保小豆島絵図』は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成された国絵図の 3番目、正保年間(1644~1648) から慶安年間(1648~1652) にかけて作成された正保国絵図のうち小豆島のものである。所蔵等は『慶長小豆島絵図』と同じで、個人所蔵を昭和14年(1939) に精密に模写したものが東京大学史料編纂所 所蔵史料目録データベース『小豆島絵図 伝正保年間』としてオンライン公開されている。

Fig.780 正保小豆島絵図 (昭和14年(1939) 写本・東京大学史料編纂所所蔵)
Fig.780 正保小豆島絵図 (昭和14年(1939) 写本・東京大学史料編纂所所蔵)

模写の史料名にあるとおり、本図の原本は正保年間(1644~1648) の作成と伝わっているが、絵図自体に年月日の記載はない。

『慶長小豆島絵図』と比較すると、ほぼ真円だった村をあらわすオブジェクトは本図では小判形となり、外にあった村名はオブジェクトの中に記載され、標準の様式に変化している。村高は記載されていないか、または省略されている。『慶長小豆島絵図』でもすべての村に記載があるわけではなく、記載のない村の村高はおそらく記載されている村の村高に内包されている。本図では余白部分 (畾紙) に広域地名 (または代表村名) の一覧があり、福田・大部・小海・肥土山・上庄・淵崎・土庄・池田・草加部の 9つが記載され、それぞれの石高ととも含まれる村数が記載されている。本図の各村に村高の記載があったとしても 9村に限られることから、おそらくはじめから余白の一覧で代替したのではないかと推定される。なおこの 9つの地名 (村名) は『天保讃岐国郷帳』に記載されている村名と同じである。

全体の形状は慶長国絵図特有のデフォルメまたは不正確さがなくなり、『天保讃岐国絵図』における描写にかなり近づいている。

中川忠英旧蔵

国立公文書館所蔵、中川忠英旧蔵の国絵図群 (通称『日本分国図』) には讃岐国のものが含まれ、現存する (#714236)。オンラインでは公開されていない。『福井bによれば、大きさは東西 410cm × 南北270cm で※1、記載されている国高は 173,554.23石 (十七万三千五百五十四石二斗三升) である。

讃岐国の正確な拝領高 (朱印高) ははっきりしないところが多く、国高から本図の性質を明らかにすることは難しい※2。同じく『福井bによれば「図の様式や印記は山城国に同じである」とあることから、本図が『正保讃岐国絵図』であるのは間違いないようだが、詳細には内容を検討する必要がある。

注釈

松平乗命旧蔵

国立公文書館所蔵、松平乗命旧蔵の国絵図群 (通称『日本分国絵図』) にも讃岐国のものが含まれ、現存する (#724998)。オンラインでは公開されていない。

この松平乗命旧蔵の国絵図群には、松平乗命から明治政府へ渡る前後 (明治5~6年(1872~1873))に、京都府が一式を借用して忠実に模写したものも存在し、京都府立京都学・歴彩館に現存、館古044: 国絵図という一群で管理されている。その『讃岐国絵図』もオンラインでは公開されていないが、目録は国立公文書館デジタルアーカイブよりも充実している。

写本の大きさは東西 415.5cm × 南北 284.0cm で※1、(松平乗命旧蔵としての) 原本も同様と考えられる。『福井bによれば、本図は彩色されておらず、村高も省略されていて「書くべき余白をあけてある」という。「模写途中の段階のままらしい」とあるものの、下絵図の可能性のほうが高い。余白部分 (畾紙) に目録はないが、郡内の見出しに郡高が併記されていて「その数値は正保郷帳に一致する」という。しかし 中川忠英旧蔵と同様、これについてもあてにならない。本図の性質を明らかにするためには、内容を検討する必要がある。

注釈

天保讃岐国絵図

天保讃岐国絵図』は、江戸期に全国規模で作成された国絵図の最後、天保年間(1830~1844) に作成された天保国絵図のうち讃岐国のものである。冒頭で言及したとおり、『天保讃岐国絵図』は国立公文書館に紅葉山文庫旧蔵が現存し、『天保国絵図讃岐国』(#764141) としてオンライン公開されている。

Fig.839 天保讃岐国絵図 (部分・国立公文書館所蔵)
Fig.839 天保讃岐国絵図 (部分・国立公文書館所蔵)

紅葉山文庫※1は江戸城内にあった、将軍の利用を原則とする書庫 (図書館) であり、勘定所は勘定奉行を長とする役所である。したがって紅葉山文庫旧蔵は保存と限定的な参照を目的に納められたもの、勘定所旧蔵は実務に供されたものとなるが、紅葉山文庫旧蔵も必要に応じて借用・参照されたようである※2

『天保讃岐国絵図』は大きさが東西 455cm × 南北 301cm で、目録の奥書部分には、全国一律に天保9年(1838) の日付 (『天保九年戊戌五月』) と明楽飛騨守・田口五郎左衛門・大沢主馬の名前が記されている。

注釈

一覧

更新履歴

内容

:

  • 外観とメニュー類をリニューアルした。

:

  • 一覧に『讃岐国絵図』(高松市歴史資料館所蔵)・『寛永十年讃岐国絵図』・松平忠英旧蔵を追加し、それぞれ記事にまとめた。
  • 中川忠英旧蔵の記事を追加した。

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  • 『天保讃岐国絵図』の記事を追加した。
  • 日本六十余州国々切絵図の記事について、表題を『日本六十余州国々切絵図 讃岐国』に変更し、説明を整理した。

:

  • 『慶長小豆島絵図』の記事について様式を中心に追補した。

:

  • 『慶長小豆島絵図』『正保小豆島絵図』『日本六十余州国々切絵図』の記事を追加し、『国絵図と国界』から関係する記述を移した。

:

  • 導入文を追加し、概要を追補した。

:

  • 構成を再整理し、概要を追加した。誤字・脱字を適宜修正した。
  • 『慶長小豆島絵図』『正保小豆島絵図』について外観を示した。

:

  • 新規作成。