ここでは、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成された国絵図のうち、因幡国絵図について詳細をまとめています。一覧は末尾にあります。

概要

因幡国 (因州) は、五畿七道のうち山陰道に属する国である。国立公文書館所蔵の『天保因幡国絵図』は紅葉山文庫旧蔵・勘定所旧蔵の両方が現存し、前者 (紅葉山文庫旧蔵) が『天保国絵図因幡国』(#764056) としてオンライン公開されている。

Fig.837 天保因幡国絵図 (国立公文書館 所蔵)
Fig.837 天保因幡国絵図 (国立公文書館 所蔵)

寛永因幡国絵図

寛永因幡国絵図』は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成されたと考えられている国絵図の 2番目、寛永年間(1624~1644) に作成された寛永国絵図のうち因幡国のものである。ライデン大学図書館 (Universitaire Bibliotheken Leidens)では『因幡国絵図 (Inaba no kuni ezu)』が現存・オンライン公開され、これが『寛永因幡国絵図』と推定される。

Fig.873 寛永因幡国絵図 (ライデン大学図書館 Universitaire Bibliotheken Leidens 所蔵)
Fig.873 寛永因幡国絵図 (ライデン大学図書館 Universitaire Bibliotheken Leidens 所蔵)

本図の大きさは東西 136cm × 南北151cm で※1、余白部分 (畾紙) の目録に記載されている郡高は以下のとおりである。

本図の国郡高は以下のとおりである。

郡高の一覧 (ライデン大学図書館所蔵)
本図正保因幡国絵図拝領高※2寛文印知※3
※4
11,725.84石※5
11,525.00石※6
11,525.30石※7
11,525.30石※8
かみ
16,901.24石※9
16,630.00石※10
16,630.10石※11
16,630.10石※12
ほう
17,090.01石※13
16,796.00石※14
16,796.50石※15
16,796.50石※16
岩井郡※17
17,407.74石※18
17,110.00石※19
17,110.10石※20
17,110.10石※21
上美郡※22
14,163.20石※23
13,982.00石※24
13,982.90石※25
13,982.9石※26
はっとう※27
20,049.69石※28
19,012.00石※29
19,712.80石※30
19,712.80石※31
高草郡
32,517.13石※32
31,961.00石※33
31,961.30石※34
31,961.30石※35
気多郡
22,406.54石※36
22,023.00石※37
22,023.50石※38
22,023.50石※39
総計 (集計値)
152,261.39石※40
149,039.00石
149,742.50石
149,742.50石※41

この国郡高に対して比較可能な史料は見当たらない。したがって石高から本図の性質を特定することはできない。一方、様式に注目すると、本図は『伯耆国絵図 (Hōki no kuni ezu)』とともに、同じライデン大学図書館所蔵で寛永国絵図と確認できる『河内国絵図 (Kawachi no kuni ezu)』と同じ様式で描かれている。これに『正保因幡国絵図』の存在を合わせて考えれば、本図は『寛永因幡国絵図』と推定できる。本図と『伯耆国絵図』の様式をまとめると以下のようになる。

様式 (寛永因幡国絵図 ・ 寛永伯耆国絵図)
城下因幡国の鳥取城は城および堀 (濠) を具体的に、かつ大きく描写されている。これに対し伯耆国の米子城は正方形 (太枠・白) に「城」とのみ表記され、記号化されている。
古城名称は「古城」固定、文字表記だけが大部分、例外的に正方形枠 (おそらく伯耆国の1箇所だけ)。因幡国では破却時期が付記されているものが多い。
オブジェクトは不定形の楕円、郡別の彩色。村名はその中に記載、接尾辞なし・漢字表記。村高の記載はないが、原本が下図 (下絵図) または控図によるためか、写本における省略と考えられる。
宿駅短冊形で区別される (伯耆国は太枠、因幡は通常)。彩色は郡別の彩色。
見出し短冊形・太枠・赤で彩色、郡名・郡高・村数併記。
境界 (郡界)墨線。
街道朱線、一里塚あり (本道)、道程記載あり。本道・脇道で線幅に違いはなく、一里塚の有無で区別。
航路なし。ただし「此湊ヨリ但馬ノ内濱坂マテ七里」の形式で他国までの距離は記載されている。
国界 (国境)国境 情報山側は地点と前後距離 (自国側・他国側) を記載。「美作境目人形仙越」「此境目ヨリ伯耆之内穴鴨町迄五里半」「此境目ヨリ美作之内才原村馬次迄一里」の形式、地点は「美作境」の部分だけまたは省略の場合あり、距離は自国側だけの場合あり、必要に応じて「難所馬通ナシ」「但難所」の付記あり、因幡国では脇道について「山路」だけまたは記載自体がない場合もある。海側は前項の距離記載以外に見当たらない。
隣国 色別なし。
方角記載あり。
川幅情報あり。
目録見出し「因幡国八郡」、郡名・郡高一覧・総計 (国高)。
その他鳥取城付近に、郡見出しと同じ形式で両国合算の国高が記載されている。
注釈

日本六十余州国々切絵図 因幡国

日本六十余州国々切絵図 (余州図) は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成されたと考えられている国絵図の 2番目、寛永年間(1624~1644) に作成された寛永国絵図の略図・縮図と考えられている国絵図である。余州図は五畿七道 68国のすべてが秋田県公文書館に現存し、「日本六十余州国々切絵図」の通称も同館のものによる。『日本六十余州国々切絵図 因幡国』は文字どおりに因幡国の余州図であり、『日本六十余州国々切絵図 因幡国』として秋田県公文書館デジタルアーカイブでオンライン公開され、大きさは東西 141cm × 南北 95cm である。

ほかに『因幡国[山陰道図]』京都大学 貴重資料デジタルアーカイブで公開され、大きさは東西 152cm × 南北 120cm、『〔因幡国絵図〕』(#T1-103)岡山大学 絵図公開データベースシステム で公開され、大きさは東西 159.4cm × 南北 116.1cm である。

正保因幡国絵図

正保因幡国絵図』は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成された国絵図の 3番目、正保年間(1644~1648) から慶安年間(1648~1652) にかけて作成された正保国絵図のうち因幡国のものである。『正保因幡国絵図』は鳥取県立博物館に現存し、『因幡国絵図』(江戸前期) としてとっとりデジタルコレクションでオンライン公開されている。分野を「歴史」とする『因幡国絵図』(#00759) は同じ資料を指していると思われる。ビューアが存在するのは分野「古地図」であり、分野「古地図」は分野『歴史』に対応する画像公開用のエイリアスなのだろう。

Fig.962 正保因幡国絵図 (鳥取県立博物館所蔵 ・ とっとりデジタルコレクション公開)
Fig.962 正保因幡国絵図 (鳥取県立博物館所蔵・とっとりデジタルコレクション公開)

因幡国絵図 (江戸前期) は、注記によれば「控え図か、写し図と考えられる」とされ、大きさは東西 374cm ×南北 342cm である※1。同じく「幕府が正保年間 (1644~48年) に諸藩に命じて作成した国絵図の描き方と共通しており」とあり、本図正保国絵図の様式に従っている。

国郡高は『寛永因幡国絵図』にまとめて示した。本図の各郡高は、元和3年(1617) 池田光政が鳥取藩に移った時点の公称の国高 (『拝領高』) や、いわゆる「寛文印知」の寛文4年(1664) 『池田光仲宛領知判物・目録』の各郡高に整合する。

注釈

元禄因幡国絵図

元禄因幡国絵図』は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成された国絵図の 4番目、元禄年間(1688~1704) に作成された元禄国絵図のうち因幡国のものである。『元禄因幡国絵図』は『因幡国絵図』(#00740)として鳥取県立博物館に現存する。オンラインでは公開されていない。

本図は作成年代が「元禄11年10月」、大きさは「317×344cm」とあって※1、後代の写本ではなく控図か、最終段階の下絵図を控図として残したものではないかと考えられる。

『新編八頭郡誌 1巻 ふるさとの歴史 上』(1988)の口絵に本図と考えられる国絵図の全体が掲載され、松平伯耆守の名前が記されていることが確認できる。またその外観は控図か、最終段階の下絵図であることを肯定する。

本図は『鳥取県立博物館総合案内』(1985)では、「図版89」として『元禄伯耆国絵図』とともに外観が示され、「国絵図(模写)」とある。ただし説明には「図版は原資料を撮影した」とあるので、館内に展示されているものは模写図であるものの「図版89」に写されているものは原本らしい※2。とはいえ、『新編八頭郡誌』とはかなり異なる印象を受けるものであり、安易な自動処理で赤みを除去したものと推定され、模写の失敗作にしか見えない (『新編八頭郡誌』に掲載されたものも赤みが強く、色の調整は不十分ではある)。また四方はトリミングされている。

注釈

天保因幡国絵図 (国立公文書館所蔵)

天保因幡国絵図』は、江戸期に全国規模で作成された国絵図の最後、天保年間(1830~1844) に作成された天保国絵図のうち因幡国のものである。冒頭で言及したとおり、『天保因幡国絵図』は国立公文書館に紅葉山文庫旧蔵・勘定所旧蔵の両方が現存し、前者 (紅葉山文庫旧蔵) が『天保国絵図因幡国』(#764056) としてオンライン公開されている。

紅葉山文庫※1は江戸城内にあった、将軍の利用を原則とする書庫 (図書館) であり、勘定所は勘定奉行を長とする役所である。したがって紅葉山文庫旧蔵は保存と限定的な参照を目的に納められたもの、勘定所旧蔵は実務に供されたものとなるが、紅葉山文庫旧蔵も必要に応じて借用・参照されたようである※2

『天保因幡国絵図』は大きさが東西 304cm × 南北 266cm で、目録の奥書部分には、全国一律に天保9年(1838) の日付 (『天保九年戊戌五月』) と明楽飛騨守・田口五郎左衛門・大沢主馬の名前が記されている。

基本的に状態が良好な天保国絵図にあって、本図には水損による染みと、それによって張り付いた部分を剥がした際に発生したとみられる顔料の剥離が認められる。

注釈

天保因幡国絵図 (鳥取県立博物館所蔵)

『天保因幡国絵図』は鳥取県立博物館にも現存し、『因幡国絵図』(天保7年11月)としてとっとりデジタルコレクションでオンライン公開されている。

因幡国絵図 (天保7年11月) は、東西 272cm ×南北 54cm※1の帯状の絵図 5枚から構成され、図の北西端に「天保七年申十一月」「公義上リ御控繪圖」の記載がある国絵図である。元禄国絵図の分割写本に変更部分について薄紙 (懸紙) を重ねたものを、形態もそのまま書き写して国許の控えとした国絵図とみられる。

『正保因幡国絵図』と同様、分野を「歴史」とする『因幡国絵図』(#00745/#00746/#00747/#00748/#00749は同じ史料を指していると思われる。

一方、別に『因幡国絵図』 (#12770/#12771/#12772/#12773/#12774が存在し、それぞれ作成年代は「天保7年」、大きさは「54×269cm」とあって※2、同様のものかと思われるが、画像・詳細情報ともなく不明である。

注釈

一覧

更新履歴

内容

:

  • 外観とメニュー類をリニューアルした。
  • 『寛永因幡国絵図』『元禄因幡国絵図』『天保因幡国絵図』(鳥取県立博物館所蔵) の各記事について、記述を整理した。

:

  • 日本六十余州国々切絵図の記事について、表題を『日本六十余州国々切絵図 因幡国』に変更し、説明を整理した。

:

  • 『余州図』『天保因幡国絵図』の記事を追加した。
  • 『寛永因幡国絵図』『元禄因幡国絵図』の記事を追補した。

:

  • 鳥取県立博物館所蔵の記事を正保・元禄・天保国絵図に分割し、また『正保因幡国絵図』について外観を示した。

:

  • ライデン大学図書館所蔵の記事タイトルを寛永因幡国絵図に変更、様式を中心に追補した。

:

  • 導入文を追加し、概要を追補した。

:

  • 『寛永因幡国絵図』を一覧に追加し、記事にまとめた。また外観を示した。

:

  • 『天保因幡国絵図』について外観を示した。

:

  • 構成を再整理し、概要を追加した。誤字・脱字を適宜修正した。
  • 同様に一覧表の備考に記載されていた記事を外に出して、表現などわかりづらいところを適宜、見直した。
  • 『元禄因幡国絵図』の情報を追加した。

:

  • 新規作成。