ここでは、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成された国絵図のうち、阿波国絵図について詳細をまとめています。一覧は末尾にあります。
概要
阿波国 (阿州) は、五畿七道のうち南海道に属する国である。国立公文書館所蔵の『天保阿波国絵図』は紅葉山文庫旧蔵・勘定所旧蔵の両方が現存し、前者 (紅葉山文庫旧蔵) が『天保国絵図阿波国』(#763996) としてオンライン公開されている。

阿波国大絵図 (慶長)
徳島大学附属図書館には『阿波国大絵図』(t001)が現存し、貴重資料高精細デジタルアーカイブでオンライン公開されている。

阿波国大絵図 (t001) は、大きさが東西 175.0mm × 南北 227.2mm で、『川村a』によれば『慶長阿波国絵図』と推定されているが、『川村b』では本図担当の平井によって根拠不足が指摘され、『寛永阿波国絵図』より古く、最古の阿波国絵図であることは確かだが、内容から直接的に『慶長阿波国絵図』であると確定させることはできない、と結論づけられている。
本図は、画像データとしては 19,249 × 24,891ピクセルの高解像度で、また圧縮率はかなりおさえられ、十分な品質が保たれているので、細部まで確認できる。
阿波・淡路両国絵図 (1197系)
国文学研究資料館には『阿波・淡路両国絵図』(1197系) が現存し、収蔵歴史アーカイブス データベースに登録されている。阿波・淡路両国絵図 (1197系) は 4枚から構成され、#01197-002 と #01197-004 の 2枚が阿波国絵図で※1、大きさはそれぞれ 275cm × 200cm (#01197-002)、185cm × 211cm (#01197-004) である。
『川村a』によれば、絵図を収めた袋に「福島ヲ地切ト唱、十三郡之図故、寛永年間之図ニ可有之事
」と記載されている。徳島城の城郭南の地形 (三角州) は『阿波国大絵図』(t001)では「地切れ (地き𛄀)」、『寛文阿波国絵図』では「福島 (福嶋)」であり、未発達で自然のままの地形が、やがて安定して開発可能な土地になる過程があらわされている。本図でもこの地形は「地切」とされ、また郡構成も古い 13郡構成であることから、本図は寛永年間(1624~1644) の国絵図とされる。ただし『寛文阿波国絵図』でも「福島」であるように、本図に描写される景観はさらに古い。『川村a』では、#01197-004 について慶長国絵図の文脈で検討が行われされ、その内容および部分写真によれば、本図は『阿波国大絵図』(慶長) と同系統のものとわかる。
また #01197-002 については、範囲は限定されるが 『阿南市史 史料編 近世』(1989) に付図として収録されている※2。#01197-002 には『寛永阿波国絵図』と同じ位置に「古城」があるが、村のオブジェクトは楕円で配置も異なり、村名も変体仮名を含む漢字仮名交じり表記である。やはりより古い国絵図であることが示唆される。
注釈
寛永阿波国絵図
『寛永阿波国絵図』は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成されたと考えられている国絵図の 2番目、寛永年間(1624~1644) に作成された寛永国絵図のうち阿波国のものである。徳島大学附属図書館には『寛永阿波国絵図』として『阿波国大絵図』(t003)が現存し、貴重資料高精細デジタルアーカイブでオンライン公開されている。

阿波国大絵図 (t003)は、大きさが東西 284.0cm × 南北 262.5cmで、解説に「寛永15年(1639) の幕府による国絵図の再徴収に応じて作製された阿波国絵図と推察される
」とある。
様式の点で付け加えれば、相対的に太い枠の方形で示された「古城」は、寛永国絵図の縮図と考えられている余州図と共通し、その後の国絵図では示されなくなっていくか、名所旧跡などと同様に背景の一部になっていく (特定のオブジェクトでは示されない) ものである。祖谷渓付近に描かれた吊り橋が独特で興味深い。このほか様式については『寛永淡路国絵図』にまとめたので適宜、参照のこと。
阿波国の郡構成は、他国と同じようにいわゆる寛文印知までに再編され、10郡となった。したがって『蜂須賀光隆宛領知判物・目録』※1にはその 10郡が記載され、板野・名東・那賀の 3郡が含まれる。本図はその再編前のため、板野郡は板東・板西の 2郡、名東郡は名東・以西の 2郡、那賀郡は那東・那西の 2郡であり、全部で 13郡が存在する。郡高を含め、構成は中川忠英旧蔵にまとめたので適宜、参照のこと。
本図は、画像データとしては 22,079 × 20,384ピクセルの高解像度で、また圧縮率はかなりおさえられ、十分な品質が保たれているので、細部まで確認できる。
注釈
日本六十余州国々切絵図 阿波国
日本六十余州国々切絵図 (余州図) は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成されたと考えられている国絵図の 2番目、寛永年間(1624~1644) に作成された寛永国絵図の略図・縮図と考えられている国絵図である。余州図は五畿七道 68国のすべてが秋田県公文書館に現存し、「日本六十余州国々切絵図」の通称も同館のものによる。『日本六十余州国々切絵図 阿波国』は文字どおりに阿波国の余州図であり、『日本六十余州国々切絵図 阿波国』として秋田県公文書館デジタルアーカイブでオンライン公開され、大きさは東西 79cm × 南北 108cm である。
ほかに『阿波国[南海道図]』 が京都大学 貴重資料デジタルアーカイブで公開され、大きさは東西 77cm × 南北 105cm、『〔阿波国絵図〕』(T1-89) が岡山大学 絵図公開データベースシステム で公開され、大きさは東西 79.0cm × 南北 106.7cm である。
正保阿波国絵図 (中川忠英旧蔵)
『正保阿波国絵図』は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成された国絵図の 3番目、正保年間(1644~1648) から慶安年間(1648~1652) にかけて作成された正保国絵図のうち阿波国のものである。国立公文書館所蔵、中川忠英旧蔵の国絵図群 (通称『日本分国図』) には阿波国のものが現存・オンライン公開され (#714420)、これが『正保阿波国絵図』にあたる。

中川忠英旧蔵の国絵図は多くの場合、複数に分割されているが、本図はコンパクトに収まるためか 1枚のまま完全な状態を保っている。『福井b』によれば大きさは東西 373cm × 南北 396cm である※1。
本図は全体的な様式と『寛永国絵図』との対比から『正保阿波国絵図』とわかる。阿波国の郡構成は、他国と同じようにいわゆる寛文印知までに再編され、10郡となった。本図の郡構成は再編前の 13郡で、これを寛文印知と対比させた上で『寛永阿波国絵図』とあわせて示せば以下のようになる。
| 寛文印知※2 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 郡 | 寛永阿波国絵図 | 中川忠英旧蔵 | 郡 | 石高 |
| 板東郡 | 20,102.540石※4 | 20,102.548石※3 | 板野郡 | 29,574.050石※5 |
| 板西郡 | 9,471.500石※7 | 9,471.502石※6 | ||
| 名西郡 | 17,211.930石※9 | 17,211.926石※8 | 名西郡 | 17,211.926石※10 |
| 麻植郡 | 13,977.110石※12 | 13,977.114石※11 | 麻植郡 | 13,977.114石※13 |
| 阿波郡 | 7,758.100石※15 | 7,758.100石※14 | 阿波郡 | 7,758.100石※16 |
| 美馬郡 | 9,594.660石※18 | 9,704.522石※17 | 美馬郡 | 9,704.522石※19 |
| 三好郡 | 15,915.560石※21 | 15,805.710石※20 | 三好郡 | 15,805.710石※22 |
| 名東郡 | 14,774.280石※24 | 14,774.278石※23 | 名東郡 | 24,906.922石※25 |
| 以西郡 | 10,132.640石※27 | 10,132.644石※26 | ||
| 勝浦郡 | 14,188.620石※29 | 14,188.621石※28 | 勝浦郡 | 14,188.621石※30 |
| 那西郡 | 18,095.070石※32 | 18,095.071石※31 | 那賀郡 | 41,732.425石※33 |
| 那東郡 | 23,637.350石※35 | 23,637.354石※34 | ||
| 海部郡 | 11,894.190石※37 | 11,894.193石※36 | 海部郡 | 11,894.193石※38 |
| 総計 (国高) | 186,753.550石※40 | 186,753.583石※39 | 総計 | 186,753.583石※41 |
『寛永阿波国絵図』の各郡高は、合 (小数点第3位) 以下が省略されているため、本図や寛文印知と完全には一致しない。しかしこの点を除けば、名西郡・名東郡と美馬郡・三好郡を除いて整合する。名西郡・名東郡は誤差といえる差分である。美馬郡・三好郡も誤差といえる差分は残るが、基本的には両者で相殺される。『寛永阿波国絵図』には国高の記載がないため、集計値 (本稿における計算値) である総計は、郡高の精度の違いによって本図や寛文印知とは一致しない。
『寛永阿波国絵図』では、河川上流部の吊り橋は街道筋と同じ色 (単色) で描かれていたが、本図では独立したオブジェクトして丁寧に描かれている。ただし『かずら橋』を想起させるような野趣あふれる印象はなくなってしまった。鶴林寺・太龍寺 (大龍寺) に着目すると堂宇 (または塔) の配置は『天保阿波国絵図』にまで継承されている (『天保阿波国絵図』では太龍寺の三重塔が二重塔になっている)。
注釈
正保阿波国絵図 (国文学研究資料館所蔵)
国文学研究資料館には『阿波・淡路両国絵図』(1196系) が現存し、収蔵歴史アーカイブス データベースに登録されている。本図は 3枚から構成され、#01196-002 が阿波国絵図であり、残る #01196-001 は徳島城絵図、#01196-003 は淡路国絵図である※1。目録によれば正保3年(1646) の成立であり、目録奥書か、端書・裏書等に明記されているものと思われる。阿波国絵図 (#01196-002) の大きさは東西 355cm × 南北 402cm である※2。
阿波国絵図 (#01196-002) も『阿波・淡路両国絵図』(1197系) の #01197-002と同じように 『阿南市史 史料編 近世』(1989) に付図として収録されている。範囲は限定されるが、それによれば内容は中川忠英旧蔵と同じであり、本図の場合、村高が省略されずに記載されている。本図は阿波国徳島蜂須賀家文書に含まれていることから、徳島藩に残された控図か、これに準ずるものと推定される。
注釈
正保阿波国絵図 (ライデン大学図書館所蔵)
ライデン大学図書館 (Universitaire Bibliotheken Leidens)では『阿波国絵図 (Sado no kuni ezu)』が現存・オンライン公開されている。

本図は中川忠英旧蔵と同じ系統の国絵図であり、『正保阿波国絵図』であると確認できる。ただし、郡の構成は再編後の 10郡になっていることから、本図は明暦の大火後に現状反映の上で再提出されたものとわかる。大きさは東西 280cm × 南北 300cm である※1。
全体的に描き方が粗い (武骨という意味では『荒い』) 印象があり「太龍寺」が「天龍寺」になっているといった誤りも確認される。しかし本図には村高の記載があって、また傷みから読み取れなかったのか「不見」と記した村形 (小判形) も複数あることから、忠実に写そうと努める姿勢が感じられる。道程の交通情報 (距離情報) は本来の位置には記されず、北東端にリスト化されている。吊り橋は独立したオブジェクトで描かれているものの、簡略化され、吊り橋の形状は維持されていない。
注釈
松平乗命旧蔵
国立公文書館所蔵、松平乗命旧蔵の国絵図群 (通称『日本分国絵図』) にも阿波国のものが含まれ、現存する (#724995)。オンラインでは公開されていない。
この松平乗命旧蔵の国絵図群には、松平乗命から明治政府へ渡る前後 (明治5~6年(1872~1873))に、京都府が一式を借用して忠実に模写したものも存在し、京都府立京都学・歴彩館に現存、館古044: 国絵図という一群で管理されている。その『阿波国絵図』もオンラインでは公開されていないが、目録は国立公文書館デジタルアーカイブよりもやや充実している。
本図の大きさは、写本で東西 192.5cm × 南北 255.5cm であり※1、(松平乗命旧蔵としての) 原本も同等と考えられる。京都府立京都学・歴彩館の目録によれば「石高記入ナシ、村間の里程記入ナシ、他国への通路・里程の記入アリ
」とあり、国郡村高は記載されておらず、本図から石高についての情報は得られない。したがって本図の性質を特定するには、そのほかの内容を検討する必要がある。
注釈
元禄阿波国絵図
『元禄阿波国絵図』は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成された国絵図の 4番目、元禄年間(1688~1704) に作成された元禄国絵図のうち阿波国のものである。『元禄阿波国絵図』は『阿波国大絵図』(t002) として徳島大学附属図書館に現存し、貴重資料高精細デジタルアーカイブでオンライン公開されている。

阿波国大絵図 (t002)は、大きさが東西 504.0cm × 南北 425.0cm で、本図では、村のオブジェクト (小判形) の大部分に村高が記載されていないが、村名は片寄せされていることから、省略等ではなく追記される見込みであることがわかる。また、余白部分 (畾紙) の目録には郡別彩色の見本だけしかないが、スペースは用意されている。背景となる自然描写は緻密・丁寧で、国絵図として必要な情報も過不足なく記載されていると思われる。
以上からいえば、本図はかなり正本に近い下絵図を控図として残したものと推定される。不正確な『正保阿波国絵図』までとは異なって、本図では国全体の形状および方位が見直され、『天保阿波国絵図』を最終形態とすれば、ほぼそれに正確である。興味深い点をあげれば、本図の「徳島城 (徳嶋城)」をあらわす方形には山陵が描き入れられている。またその南東、おそらく現在の芝山 (日峰山) の麓付近の樹林帯は、ほかとは異なって桜のように描かれている。地理院地図で確認できる「桜馬場」という地名 (小字) は関係するのだろうか。
画像データとしては 28,982 × 24,377ピクセルの高解像度で、また圧縮率はかなりおさえられ十分な品質が保たれているので、細部まで確認できる。
天保阿波国絵図 (国立公文書館所蔵)
『天保阿波国絵図』は、江戸期に全国規模で作成された国絵図の最後、天保年間(1830~1844) に作成された天保国絵図のうち阿波国のものである。冒頭で言及したとおり、『天保阿波国絵図』は国立公文書館に紅葉山文庫旧蔵・勘定所旧蔵の両方が現存し、前者 (紅葉山文庫旧蔵) が『天保国絵図阿波国』(#763996) としてオンライン公開されている。

紅葉山文庫※1は江戸城内にあった、将軍の利用を原則とする書庫 (図書館) であり、勘定所は勘定奉行を長とする役所である。したがって紅葉山文庫旧蔵は保存と限定的な参照を目的に納められたもの、勘定所旧蔵は実務に供されたものとなるが、紅葉山文庫旧蔵も必要に応じて借用・参照されたようである※2。
『天保阿波国絵図』は大きさが東西 512cm × 南北 425cm で、目録の奥書部分には、全国一律に天保9年(1838) の日付 (天保九年戊戌五月) と明楽飛騨守・田口五郎左衛門・大沢主馬の名前が記されている。
注釈
一覧
変更履歴
内容
:
- 外観とメニュー類をリニューアルした。
- 各記事の記述を整理した。
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- 日本六十余州国々切絵図の記事について、表題を『日本六十余州国々切絵図 阿波国』に変更し、説明を整理した。
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- 『元禄阿波国絵図』を一覧に追加した上で記事にまとめ、また外観を示した。
- 『阿波国大絵図』(寛永) の記事について表題を『寛永阿波国絵図』に変更し、整理・追補した。
- 中川忠英旧蔵の記事について表題を『正保阿波国絵図』(中川忠英旧蔵) に変更し、整理・追補した。
- ライデン大学図書館所蔵の記事について表題を『正保阿波国絵図』(ライデン大学図書館所蔵) に変更し、若干追補した。
- 『余州図』『天保阿波国絵図』の記事を追加した。
- 『阿波国大絵図』(慶長) の記事について若干、追補した。
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- 『阿波国大絵図』(寛永) に、様式について『寛永淡路国絵図』への参照を追記した。
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- 導入文を追加し、概要を追補した。
- 『天保阿波国絵図』について外観を示した。
:
- 『正保阿波国絵図』(中川忠英旧蔵)・『同』(ライデン大学所蔵) について外観を示した。
- 「てにをは」等、文章・表現を適宜見直した。
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- 構成を再整理し、概要を追加した。誤字・脱字を適宜修正した。
- 同様に一覧表の備考に記載されていた記事を外に出して、冗長な表現などを適宜見直した。
- 『寛永阿波国絵図』(『阿波大絵図』) について外観を示した。
:
- 新規作成。
